もり

f:id:hanya_pung:20170928004006j:image

 

先週までは演奏稼業が多忙であったが、今週は稽古が二回あるのみ。対してサラリーマン稼業の方は目が回る忙しさである。週の勤務時間は逆算で算出しているため、たいてい残業となる日は前日には分かっており、それに合わせて夕食をどう採摂るか決める。

 

蕎麦好きの私が遅い時間に食すのはもりそばが多い。胃もたれせず、つゆのアミノ酸は脳に満足感を手軽に送り込める。何より喉での味わいを楽しめるのは蕎麦くらいのもの。喉で味わう食べ方は若い時分に練習した。

 

この程度の食事、腹六分あたりに留めると、翌日も朝食が美味いのである。

段取り八分

ある業界の仕事を現す言葉で「段取り八分」というものがある。考えてみれば多くの業界でこの言葉がしっくりくると思う。

 

我々のような演奏業を始め見世物商売においては、段取りが占める割合はもっと多い。公演本番の10倍以上は稽古があり、実質実入りとなる公演当日においても殆どの時間は準備である。まず自宅での準備に始まり、交通機関での移動。私など器材及び荷物を合わせると30キロ近い重さであるため非常に重労働だ。非力で売っている私にとっては会場に到着した時点で打ち上げたい気分になる。

 

会場入りしたら演出の段取りを書類に起こしお店側のスタッフさんと打ち合わせる。加えてメンバーへの指示書、物販設営、当日リハーサルを済ませ、開場準備まで行うと暇な時間などない。行程によっては食事も採れないのである。

 

好きでやっているとは言え、なかなかの労働である。

 

終演後はお客様の撤収を待ってから器材や物販の片付けに取り掛かる。個人業務だが着替えや化粧落としなどもしていると、都内の現場では打ち上げどころではないものだ。

 

このように、公演そのものを占める時間は、段取り時間に比べると僅かなのだ。80%どころではない。

 

それでも私たちは公演を行う。やりたい仕事をするというのは、こういうことなのである。

買い物

f:id:hanya_pung:20170923184447j:image

 

普段は副業サラリーマン、本業演奏家のため時期によっては休日など一切無い。しかし今日は工事の立会い以外はフル休日という貴重な日。嫁と夕食を共にするのは数週間ぶり。折角なので隣町の大型商店街へ散歩がてら買い物へ。

 

我が家で肉といえば鶏肉である。嫁は高級な牛肉かホルモン以外の牛肉・豚肉をほぼ口にしないため食卓に肉料理が並ぶとすれば鶏肉となる。私も私で焼肉より焼鳥、そもそも野菜や魚を好むため牛肉・豚肉を口にすることは稀である。

今日は鶏肉店にて鶏肉の惣菜を二点買い求めた。

 

そして贔屓にしている魚屋へ。一番驚いたのは新子があったことだ。一度食してみたいと常々思っていたが、嫁は小肌があまり好きでは無いため今日のところは断念した。季節物ということで秋刀魚の刺身を。加えて間八のカマ味噌漬けが100円で売られておりこちらも購入。

 

帰宅後、私は一仕事片付け、この後長湯をする。その間にカマを焼いてもらい、一杯やるのだ。楽しみなことこの上ない。

祭と化粧

今日の夜は稽古の日だと思っていたが勘違いであった。時間が空くな、何かしようかと考えていたが、若い営業マンに講義を申し込まれてしまった。まあいいかとソーシャルメディアと広告について話していると飲み友達である営業部長が参入し、若者への軽い説教会となった。

 

軽く残業をし、帰り道に蕎麦をたぐり、2駅ほど徒歩。途中の神社が今週末に祭のようで、普段より多い照明で美しかった。日常に見る神社より着飾った光景を見て「これは化粧だ」とふと思う。ハレの日を装うモノなのだ、と…。根拠や理屈は無いが、そう感じた自分はなかなかの莫迦だと再確認した。

 

f:id:hanya_pung:20170922004557j:image

インスタント麺

日中は働き、夜は合奏の稽古…という日が週に数回はある。たいていは慌ただしく、仕事場からスタヂオへ直行することになる。ゆっくり何かを食べる時間はなく、どうしても空腹に耐えられない時は歩きながら…ということになる。

 

帰宅は0時前後だが、軽く何か食べよう、という時に重宝するのがインスタント麺である。最近は有名店の味に似せた公式製品が多くはなかなか楽しい。しかし、身体には良くないのだろうと思うが、なかなか止めることが出来ない。まるで麻薬である。

博多直送

f:id:hanya_pung:20170919225830j:image

知人からの頂き物。博多の製麺所に勤務している友人から貰ったというラーメン、スープ付き。もちろん極細ストレート。地元福岡はもちろん、東京・環七で一世を風靡した有名店にも卸していたという。

 

アドバイスされたのは、麺とスープは「必ず」別々のお湯を使うということ。麺の茹で時間はカタ好きなら1分未満が良いそう。

 

九州ラーメン、特に博多ラーメン店は東京に数多くあるが、多くは東京の若者向けにアレンジされた味付けであり、そういった類の豚骨ラーメンは御免被りたい一心である。そういった店のラーメンに比べたら、このラーメンの方が数段美味い。

不揃いなパスタ

録音業務で、2年振りの都内某スタジオ。前回訪れた際は休憩時間に隣のハンバーガー店で食事を摂り、すこぶる美味しかった思い出があり、今回も是非と思っていた。スタジオに着き、挨拶と打ち合わせを済ませた後、「今日はハンバーガー店は営業してますかね?」と尋ねたところ、「実は半年前に移転してしまったんですよ」と。それは残念、食べる気で居たのにと不満げに、残念さをアピールした。

 

その店の店主はかつてダンスを学ぶために渡英し、デビッド・ボウイのパントマイムの先生に師事した事もあるという。その際、生活のために色々な飲食店でバイトするうちに料理を覚え、帰国後もダンス活動の傍ら自らお店を出し英国料理を売っていたそうだ。

 

バンズも自ら焼くバーガーは美味であったため、今回も食したかったのだが…

 

かつてその店ではパスタも出していたそうなのだが、パスタ麺はメニューに合わせて組み合わせを変えていたんだそう。日本において麺料理に太さの異なる麺が混在していたら嫌がる人が殆どだと言う。しかしヨーロッパではパスタ麺を複数ミックスすることは当然のことのようで、その違いを楽しむケースが多いらしい。

完璧主義でクレーマーな日本人にはフィットしない考え方だったのだろう。加えて、料理人の意向も消費者に伝わっていなかったという問題もあろう。

 

思うと、このように理由ありきサーヴィスを理由なき先入観で切り捨ててしまい、真の価値を楽しめなかった、または楽しめることに気付かなかったということは多いのではないだろうか、とふと思った。食事・食文化でもあるだろうし、こと芸術分野では沢山あることは想像に難しくない。

 

情報化社会の中で情報が正しく届かない。または情報が正しく摂取されない。

 

最近借りて読んだ小説にもあったが、人はウェブ文化以降特に「読みたいものしか読まない」。タイトル至上主義の中吊り広告文化である。