不揃いなパスタ

録音業務で、2年振りの都内某スタジオ。前回訪れた際は休憩時間に隣のハンバーガー店で食事を摂り、すこぶる美味しかった思い出があり、今回も是非と思っていた。スタジオに着き、挨拶と打ち合わせを済ませた後、「今日はハンバーガー店は営業してますかね?」と尋ねたところ、「実は半年前に移転してしまったんですよ」と。それは残念、食べる気で居たのにと不満げに、残念さをアピールした。

 

その店の店主はかつてダンスを学ぶために渡英し、デビッド・ボウイのパントマイムの先生に師事した事もあるという。その際、生活のために色々な飲食店でバイトするうちに料理を覚え、帰国後もダンス活動の傍ら自らお店を出し英国料理を売っていたそうだ。

 

バンズも自ら焼くバーガーは美味であったため、今回も食したかったのだが…

 

かつてその店ではパスタも出していたそうなのだが、パスタ麺はメニューに合わせて組み合わせを変えていたんだそう。日本において麺料理に太さの異なる麺が混在していたら嫌がる人が殆どだと言う。しかしヨーロッパではパスタ麺を複数ミックスすることは当然のことのようで、その違いを楽しむケースが多いらしい。

完璧主義でクレーマーな日本人にはフィットしない考え方だったのだろう。加えて、料理人の意向も消費者に伝わっていなかったという問題もあろう。

 

思うと、このように理由ありきサーヴィスを理由なき先入観で切り捨ててしまい、真の価値を楽しめなかった、または楽しめることに気付かなかったということは多いのではないだろうか、とふと思った。食事・食文化でもあるだろうし、こと芸術分野では沢山あることは想像に難しくない。

 

情報化社会の中で情報が正しく届かない。または情報が正しく摂取されない。

 

最近借りて読んだ小説にもあったが、人はウェブ文化以降特に「読みたいものしか読まない」。タイトル至上主義の中吊り広告文化である。